词条 | 和名类聚抄 |
释义 | 简介《和名类聚抄》又名和名钞、倭名类聚抄、倭名抄。是日本最早的百科全书,是日本国平安时代承平年间(794年-1192年)源顺应勤子内亲王的要求所编纂,其分类方式受到尔雅的影响,共分32部249门。 日文简介和名类聚抄は「倭名类聚钞」「倭名类聚抄」とも书かれ、その表记は写本によって一定してしない。一般的に「和名抄」「倭名钞」「倭名抄」と略称される。 巻数は十巻または二十巻で、その内容に大きく异同があるため「十巻本」「二十巻本」として区别され、それぞれの系统の写本が存在する。 両者の関系については十巻本が先に成立して二十巻本がそれを増补したものとする说と、逆に二十巻本が先で十巻本は略本であるとする说があるが、いまだその関系については明らかではない。 なお二十巻本は古代律令制における行政区画である国·郡·郷の名称を网罗しており、この点でも基本史料となっている。 日文二种版本目录[编集] 十巻本 24部128门より成り、各部は次の顺に配列されている。 天地部=天文·気象·神霊·水·土石 人伦部=人间·家族 形体部=体の各部 疾病部=病気 术芸部=武芸·武具 居処部=住居·道路 舟车部=船·车 珍宝部=金银·玉石 布帛部=布 装束部=衣类 饮食部=食物 器皿部=器·皿 灯火部=灯火 调度部=日用品 羽族部=鸟 毛群部=獣一般 牛马部=牛·马 竜鱼部=爬虫类·両生类 鱼贝部=鱼类·海栖动物 虫豸部=虫类 稲谷部=稲·谷物 菜蔬部=野菜 果瓜部=果物 草木部=草木 [编集] 二十巻本 十巻本に比べ部の分割·统合·付加、名称や配列の异同があり、32部249门より成っている。 配列は以下の通り。太字で示したものが二十巻本独自の部、もしくは名称の変更されている部である。 天部=天文·気象 地部=土石 水部=水 歳时部=暦 鬼神部=神霊 人伦部=人间 亲戚部=家族 形体部=身体の各部 术芸部=武芸·武具 音楽部=音楽·楽器 职官部=官庁·官职名 国郡部=国名·郡名·郷名 居処部=住居·道路 船部=船 车部=车 牛马部=牛·马 宝货部=金银·玉石 香薬部=香 灯火部=灯火 布帛部=布 装束部=衣类 调度部=日用品 器皿部=器·皿 饮食部=食物 稲谷部=稲·谷类 果瓜部=果物 菜蔬部=野菜 羽族部=鸟类 毛群部=獣一般 鳞介部=爬虫类·両生类·鱼类·海栖动物 虫豸部=虫 草木部=草木 日文版本写本 真福寺本=鎌仓时代写·巻一~巻二のみ(宝生院真福寺蔵) 伊势十巻本=室町时代初期写·巻三~八のみ(神宫文库蔵) 京本=江戸时代前期写·巻四~六のみ(东京大学国语研究室蔵) 高松宫本=江戸时代前期写·完本(国立歴史民俗博物馆蔵) 松井本=江戸时代前期写·完本(静嘉堂文库蔵) 京一本=江戸时代後期写·巻七~十のみ(东京大学国语研究室蔵) 狩谷えき斎自笔订本=江戸时代後期写および校订·完本(国立公文书馆(旧内阁文库)蔵) 前田本=明治时代写·完本(前田尊経阁蔵) 「下総本」系写本 天文本=江戸时代後期写·完本(东京大学国语研究室蔵) [编集] 版本 享和版本=享和元年(1801年)刊·稲叶通邦校订(底本=真福寺本) 杨守敬刊本=明治29年(1906年)刊·杨守敬校订(底本=下総本系写本) [编集] 校注本 『笺注倭名类聚抄』=文政10(1827年)成立、明治16年(1883年)刊·狩谷えき斎校订(底本=京本を诸本で校订) [编集] 二十巻本 现在、二十巻本の本文として最も流布しているのは、那波道円校注の「元和古活字本」である。 ただし「元和古活字本」は稀觏书で、昭和7年(1932年)に影印复刻されるまではほとんど世に出回らず、 代わりに「庆安版本」「寛文版本」が広く用いられ、明治时代初期まで何度も刷を重ねた。 また写本のうち「高山寺本」は、「国郡部」の後に古代律令制下の駅(うまや)を记しており、他の二十巻本には见られない独自の本文を持つほか、本文の异同も多く、特に「国郡部」を见る际に「元和古活字本」とともに参照される。 [编集] 写本 高山寺本=平安时代末期写·巻六~十のみ(天理大学附属天理図书馆蔵) 伊势二十巻本=室町时代初期写·巻一~二および巻九~二十のみ(神宫文库蔵) 大东急本=室町时代中期写·完本(大东急记念文库蔵) [编集] 版本 元和古活字本=元和3年(1617年)刊·那波道円校订 庆安版本=庆安元年(1648年)刊 寛文版本=寛文11年(1671年)刊 印刷版本十卷本文本 享和版本:享和元年(1801年)刊、稲叶通邦校订(原稿:真福寺本) 杨守敬刊本:明治29年(1906年)刊、杨守敬校订(原稿:下总本系本) 二十卷本文本 是那波道圆校注的“元和古活字书”。但“元和古活字书”用稀觏书,到昭和7年(1932年)影印再版后几乎不再传于市面,“庆安版本”“宽文版书”因在明治时代初期重印多次,故市面最能流传最广。 元和古活字本:元和3年(1617年)刊,那波道圆校订 庆安版本:庆安元年(1648年)刊 宽文版本:宽文11年(1671年)刊 作者简介源顺字具济,日本村上天皇天历中人。大纳言定曾孙,左马允举子,能达和歌诗文。 著作序跋倭名类聚抄序 窃以延长第四公主,柔德早树,淑姿如花,吞湖阳于胸陂,笼山阴于气岸。年才七岁,初谒先帝。先帝以其姿貌言笑,每事都雅,特钟爱焉,即赐御府筝手教授其谱。公主天然聪高,学不再问,一二年间,能究妙曲,十三弦上,更奏新声。自醍醐山陵,云愁水咽,永辞魏阙之月,不拂秦筝之尘,时时慰幽闲者,书画之戏而已。于是因点成蝇之妙,殆上屏风;以笔回鸾之能,亦巧垂露。渐辨八体之字,豫访万物之名。其教曰:“我闻思拾芥者,好探义实;期折桂者,竞采文华。至于和名,弃而不屑。是故虽一百帙《文馆词林》,三十卷《白氏事类》,而徒备风月之兴,难决世俗之疑,适可决其疑者,《辨色立成》《杨氏汉语抄》太医博士深根辅仁奉撰《集和名本草》,山州员外刺史田公望《日本纪私记》等也。然犹养老所传,杨说才十部,延喜所撰,药种只一端,田氏《私记》一部三卷,古语多载,和名希存,《辨色立成》十有八章,与杨家说名异实同。编录之间,颇有长短。其余《汉语抄》,不知何人撰,世谓之《甲书》,或呼为《业书》。甲则开口裒扬之名,业是服膺诵习之义,俗说两端,未详其一矣。又其所撰《录名》,河鱼为■,祭树为<标申>。澡器为?泉等是也。汝集彼数家之善说,令我临文无所疑焉。” 仆之先人,幸忝公主之外戚,故仆得见其草隶之神妙;仆之老母,亦陪公主之下风,故仆得蒙其松容教命。固辞不许,遂用修撰。或汉语抄之文,或流俗人之说,先举本文正说,各附出于其注。若本文未详,则直举《辨色立成》《杨氏汉语抄》《日本纪私记》,或举《类聚国史》《万叶集》《三代式》等所用之假字,水兽有苇鹿之名,山鸟有稻负之号,野草之中,女郎花海苔之属于期菜等是也。至如于期菜者,所谓六书法,其五曰假借,本无其字,依声托事者平!内典梵语,亦复如是,非无所据,故以取之。或复有以其音用于俗者,虽非和名,既是要用,石名磁石、■石,香名之沉香、浅香,法师具之香炉、锡杖,画师具之燕脂、故粉等是也。或复有俗人知其讹谬,不能改易者,?生讹为鲑,?读如杉,锻冶之音误涉锻治,蝙?若之名伪用?威?夷等是也。若此之类,注加今案,聊明故老之说,略述闾巷之谈。 总而谓之,欲近于俗,便于事,临忽忘如指掌,不欲异名别号,义深旨广,有烦于披览焉。上举天地,中次人物,下至草木,勒成十卷。卷中分部,部中分门,廿四部百廿八门,名曰《和名类聚抄》。古人有言,街谈巷说,犹有可采。仆虽诚浅学,而所注缉,皆出自前经旧史,倭汉之书,但刊谬补阙,非才分所及,内惭公主之照览,外愧贤智之卢胡耳。(《倭名类聚抄》) |
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