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词条 伊东佑亨劝降书
释义

简介

伊东佑亨劝降书是指甲午战争(日本称日清战争)时期日本海军联合舰队(日本语:れんごうかんたい)司令长官伊东佑亨(日本语:いとう すけゆき)致书清朝北洋水师提督丁汝昌进行劝降的信件。

伊东佑亨劝降丁汝昌

1895年)1月23日,北洋水师提督丁汝昌率众退守威海卫,被日舰重重包围,穷途末路之际,收到日本主将伊东佑亨的劝降书。该信书是伊东佑亨委托在威海卫海域的英国军舰“塞万”号带给丁汝昌的。

开头写道:

“谨呈一书致丁提督阁下:事局之变,致使仆与阁下互为敌对,何其不幸!然今日之战,乃国与国之战,非个人结仇也。仆与阁下友谊之温,今犹如昨。”

伊东佑亨陈说中国陆海军连败,绝非君臣某一个人之罪,其原因乃是墨守陈旧政治之弊。而日本在明治维新之后抛弃旧政治,逐渐崛起。最后,劝诱丁汝昌逃亡日本,以期东山再起。

“贵国曾有雪会稽之耻,以成大志之先例。在我国,如榎本海军中将、大岛枢密顾问官,虽举叛旗,终得赦免,且位居显要,不屈才干。败战乃旧政治之结果,非阁下责任。应留有余力,以图他日……”

丁汝昌当然不听这种劝告,把劝降书原封不动寄给了天津的李鸿章。19天后,丁汝昌自杀殉国,北洋海军全军覆没。

劝降书全文

大日本海军总司令官中将伊东佑亨致书与大清国北洋水师提督丁军门汝昌麾下:

时局之变,仆与阁下从事于疆场,抑何其不幸之甚耶?然今日之事,国事也,非私仇也,则仆与阁下友谊之温,今犹如昨。仆之此书,岂徒为劝降清国提督而作者哉?大凡天下事,当局者迷,旁观者审。今有人焉,于其进退之间,虽有国计身家两全之策,而目前公私诸务所蔽,惑于所见,则友人安得不以忠言直告,以发其三思乎?仆之渎告阁下者,亦惟出于友谊,一片至诚,冀阁下三思。

清国海陆二军,连战连北之因,苟使虚心平气以查之,不难立睹其致败之由,以阁下之英明,固已知之审矣。至清国而有今日之败者,固非君相一己之罪,盖其墨守常经,不通变之所由致也。夫取士必以考试,考试必由文艺,于是乎执政之大臣,当道之达宪,必由文艺以相升擢。文艺乃为显荣之梯阶耳,岂足济夫实效?当今之时,犹如古昔,虽亦非不美,然使清国果能独立孤往,无复能行于今日乎?前三十载,我日本之国事,遭若何等之辛酸,厥能免于垂危者,度阁下之所深悉也当此之时,我国实以急去旧治,因时制宜,更张新政,以为国可存立之一大要图。今贵国亦不可不以去旧谋新为当务之急,亟从更张,苟其遵之,则国可相安;不然,岂能免于败亡之数乎?与我日本相战,其必至于败之局,殆不待龟卜而已定之久矣。既际此国运穷迫之时,臣子之为家邦致诚者,岂可徒向滔滔颓波委以一身,而即足云报国也耶?以上下数千年,纵横几万里,史册疆域,炳然庞然,宇内最旧之国,使其中兴隆治,皇图永安,抑亦何难? 夫大厦之将倾,固非一木所能支。苟见势不可为,时不云利,即以全军船舰权降与敌,而以国家兴废之端观之,诚以些些小节,何足挂怀?仆于是乎指誓天日,敢请阁下暂游日本。切原阁下蓄余力,以待他日贵国中兴之候,宣劳政绩,以报国恩。阁下幸垂听纳焉。贵国史册所载,雪会稽之耻以成大志之例甚多,固不待言。法国前总统末古末哑恒曾降敌国,以待时机;厥后归助本国政府,更革前政,而法国未尝加以丑辱,且仍推为总。土耳其之哑司末恒拔香,夫加那利一败,城陷而身为囚虏。一朝归国,即跻大司马之高位,以成改革军制之伟勋,迄未闻有挠其大谋者也。阁下苟来日本,仆能保我天皇陛下大度优容。盖我陛下于其臣民之谋逆者,岂仅赦免其罪而已哉?如榎本海军中将,大鸟枢密顾问等,量其才艺,授职封官,类例殊众。今者,非其本国之臣民,而显有威名赫赫之人,其优待之隆,自必更胜数倍耳。第今日阁下之所宜决者,厥有二端:任夫贵国依然不悟,墨守常经,以跻于至否之极,而同归于尽乎?亦或蓄留余力,以为他日之计乎?从来贵国军人与敌军往返书翰,大都以壮语豪言,互相酬答,或炫其强或蔽其弱,以为能事。仆之斯书,洵发于友谊之至诚,决非草草,请阁下垂察焉。倘幸容纳鄙衷,则待复书赉临。于实行方法,再为详陈。

谨布上文。明治二十八年一月二十日(伯爵 大山巌 顿首 伊东祐亨 顿首)

日文版劝降书

谨んで一书を丁提督阁下に呈す。事局の変迁は不幸にも仆等と阁下とをして相敌たらしむるに至れり。しかれども、今世の戦争は国と国との戦いなり。一人と一人との反目にあらず。 すなわち仆等と阁下との友情は依然として昔日の温を保てり。阁下、幸いにこの书をもって単に帰降を促すものとなさず、仆等が苦衷の存するところさらに一层深远なるところにあること信认せられんことを希望す。けだしその国および、その身のためにはかり、一挙両全の长计あるも、局に当たる者は迷い、往々これを目捷に失するがゆえに、傍観者たる仆等において、敢て黙々に付するに忍びず。これ、ここに阁下に勧告して熟考を请わんと欲するゆえんなり。贵国海陆両军の尔来连戦连败するや、その近因、もとより一にして足らざるべきも、その真正の原因は自ら他に在るあり。虚心平気をもって観察する者の観るを难しとせざるところ、阁下の英明にして、それ贵国の今日あるに至れるは、もと君臣一、二人の罪にあらず、その従来墨守せる制度の弊、実にこれを致せるなり。人を采るに必ず文芸をもってして、政権を握る者一に文芸の士なること、今日なお千年の昔のごとし。この制度の当时における、必ずしも善美ならざるにあらず。贵国にして果たして世界に孤立独往するを得ば、永くその善美を失わざるべきも、いかんせ ん、一国の孤立独往は宇内今日の形势において、また望むべからざるの事たるを。三十年前ヽわが日本帝国がいかに辛酸なる境遇を阅し、いかに危殆なる厄 难を逃れ得たかは、阁下のすでに熟知せらるるところなり。当时、帝国は実に旧制を弃て新制につくをもって、わが存立を完くする唯一の要件としたり。すなはち今日は、贵国もまた、これをもって要件とせざるべからず。贵国いやしくも、これに従えば、すなわち可なり。もし、しからざるときはヽ早晩灭亡を免れざるべし。これ现势必至の数なり。その厄难は、はしなく今回の戦争により発现したりといえども、その否极の运命のごときは、前定すでに久しというべし。 すでに、この否极の运に际す。臣子のいやしくも邦家のために忠诚を致さんとするもの、いたずらに、とうとうたる颓波(颓廃)に従い、その一身を委して、しかして已むべけんや。炳焉(へいえん)たる広史と広大なる疆域とを有する世界の最旧帝国を革新して、その基础を永远に巩固ならしめんとする。谈なんぞ容易なら。いやしくも势の不可なる、时の不利なるを见んか。一舰队を敌に与え、全军をもって降るが如き、これを邦家の兴廃にくらぶれば、まことに些々たる小节にして、拘るに足らざるのみ。これにおいて仆等は世界と轰鸣する日本武士の名誉心に誓い、阁下に向かって、しばらくわが国に游び、もって他日、贵国中兴の运、真に阁下の勤労を要するの时节到来するを待たれんことを愿うに切なり。阁下それ友人诚実の一言を聴纳せよ。 贵国、往昔の歴史において、小节を弃て小耻を忍び、ついに大功を成したるの例少なからざるは、もとより言をまたず。かの仏国の大将マクマホンの如きは、ひとたび降って敌国にあり、时期を待ちて帰り本国政府の改革を助け、しかしてフランス、かえってこれに耻辱を加えざるのみならず、したがってこれを大统领に推选せるにあらずや。また、かの土国のオスマンパシャの如lくプレウナの一败、城陥り、身捕わるるも、一朝、国に帰るや陆军大臣の要地に立ち、军制改革の伟功を奏するを妨げざりしにあらずや。 阁下にして、果たしてわが国にきたらば、ぞの待遇の如きは仆等誓ってわが天皇陛下の大度を担保すべし。陛下は、かつてその臣民の叛旗を掲げたる者を赦免し给えるのみならず、榎本海军中将の如き、大鸟枢密顾问官の如き、各々その材能に応じ、挙げて顕要の地に登らさる。この类はなはだ多し。 これ壹要するに、今日阁下の决断せらるべき最大条件は、贵国の顽然として株守する旧制の弊を受け、みすみす大厄に陥るに任せ、これと运命をともにすべきか、また余力を蓄えて他日の计をなすべきかの二途にあり。阁下、请う、慎思熟虑してこれを选べ。従来、贵国武弁の敌将の书院を接する、おおむね大言壮语をもってこれに酬い、みだりにその强をてらい、もしくはその弱をおおわんとす。しかれども阁下の贤明なる必ずその所为にならわざる、仆等が信ずるところなり。いま仆等がこの书を致すや、実に友谊の至诚より発し、决して草々にせず。阁下请うこれを谅せよ。 阁下幸いにこの书中に披沥する鄙衷を采酌せんか。これを実行するの方法の如きは、阁下の允许を得てさらに具陈するところあるべし。 引

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